2012年12月31日月曜日

ロッシとドゥカティ、アヴァンチュールの終焉

2012年最後のエントリーは、遂に終止符を打ったロッシとドゥカティの挑戦について触れておきたい。

僕は以前よりライダーのライディングスタイルとマシンとの相性の重要性を主張して来ており、ロッシのドゥカ移籍に際しても、過去のエントリーにも書いたように「ドゥカはロッシの様なランディングスタイルのライダーが決して乗ってはいけないマシン」だと思っていたので、結果的にはそれが正しかった事が証明されてしまったと言える。

しかしながら、ロッシがその予想を裏切り、奇跡的な偉業を成し遂げる事を期待もし、特に移籍直後の数戦では予想を超える好結果を残していた事から、その期待を募らせていたので、結果的にやはり奇跡は起こらなかった事は残念でもある。

でも、傷口を広げる前にヤマハへの復帰という屈辱的な決断をした事は懸命だと思うし、GP史上稀に見る偉大な記録の数々を打ち立ててきたロッシの貴重な才能を奇跡でも起こせないと達成出来ない様な無謀な挑戦に浪費するよりも、残されたレースキャリアでロッシと相性の良いマシンで思う存分その才能を発揮して活躍をして欲しいと思う。

また、ロッシ程の偉大なライダーでもライディングスタイルとマシン特性の相性の壁というのは、超えることが出来ない程大きなものだという事実を、後続のライダー達に大きな教訓として印象付ける結果となった事は良かったのではないかと思う。

自分が乗るべきマシンの選択を誤ると、本人のレース生命を脅かす結果にもなりかねない。ロッシ程のスーパースターだからこそ、ヤマハ復帰というアクロバットが実現したが、普通のライダーであればこのまま引退に追い込まれてもおかしくなかったと言えるだろう。かつてのライバル、ビアッジが「2年低迷してあのオファー、よほど神通力があるのだろう。」と唸ったのも頷ける。

かつて皇帝とまで呼ばれたそのビアッジでも、レプソルホンダでのたった1年の低迷、それもランキング5位というドゥカ時代のロッシよりは幾分マシな成績だったにも拘らず、MotoGPでのシートを失ったのだから。

それにしても、移籍直後の予想外な好成績(僕以外の人はそうは思わなかったかもしれないが・・)を思い返すにつれ、開発の方向性さえ誤らなかったら別の結果があったのではないか?という残念な思いが拭えない。

ずっと日本製マシンで好成績を残してきたロッシとバージェスなら、アルミフレームを選択するのではないか?というのは、予想通りだったが、それは過去のエントリーでも述べたように、L型エンジンというフレーム設計上問題の多いエンジン形式故に、ドゥカのレース部門が長年味わってきた苦悩を追体験する様な選択であり、とても1年で結果が出せる様なものではなく、無謀な決断だったと言えるだろう。

結局、その長い歴史を経てドゥカが辿り着いたカーボンモノコックフレームという選択が、L型エンジンにはベストな選択だったと言えるのかもしれない。

そして、2011年シーズン当初ロッシが乗ったGP11は、そのベストの選択肢をストーナーとヘイデンが磨き上げた結果であり、そのマシンに乗っていた時がロッシの成績も最も安定していたという感がある。

そう考えると、あのまま2011年はカーボンモノコックのGP11に乗り続けデータ収集とセッティングの試行錯誤だけに専念し、ロッシがファーストインプレッションで高く評価したカーボンモノコックのGP12を熟成させて2012年に臨んでいたら別の結果が待っていたかもしれないと思う。

それでなくても、どんどんニューフレームを投入した2011年に対し、2年目の2012年シーズンはほとんどマシンの進化は見られず、まるで開発予算が枯渇したかの様な印象を受けたが、2年目にタイトルを狙いにいくマシンを開発するための準備期間の筈だった2011年に開発費を使い過ぎて、肝心の2012年に十分開発を進められなかったのではないかと残念に思える。

これは、ロッシが在籍した2年間がちょうど800ccから1000ccにレギュレーションが変更する時と重なってしまった事も不運だったと言えると思う。2年間通して同じレギュレーションのマシン開発をすることが出来たら、もっと開発はスムーズに進んだのかもしれない。

今更過ぎた事を悔やんでも始まらないが、ホンダ、ヤマハで歴史に残る好成績を残したロッシでもドゥカティで結果を出せなかった事から、ドゥカは日本製マシンにそれほど慣れていない若手をドゥカスペシャリストに育成するという方針を打ち出し、Moto2クラスでロッシの後継者として期待を集めていたイアンノーネを起用したが、懸命な判断だと言えると思う。

イアンノーネが育つまでは、ホンダワークス経験者のドヴィとニッキー、そして何故かイアンノーネのチームメイトとしてジュニアチーム入りしたヤマハワークス経験者のスピースにドゥカが託される事になった。スピースの起用はニッキーの後継としてのワークス入りを想定してのテスト的な起用、もしくはドヴィが期待に応える成果を出せなかった場合の保険の意味もあるのではないかと思う。

いずれにしても、しばらくは日本製マシンの開発経験のあるライダーが継続してドゥカの開発を担って行く事には変わりがない。彼らがこのままアルミフレームの開発を継続することを選択するのか、それともカーボンモノコックに戻す事を選択するのかも含めて彼らの開発するマシンがどの様な方向に向かうのか興味を持って見守って行きたいと思うし、イアンノーネの成長を楽しみにしたいと思う。

また、ヤマハに復帰するロッシに関しては、大方の予想では年間1、2回は勝つかもしれないが、タイトル争いでロレンソやペドロサを脅かす所までは行かないだろうと思われている様だ。

僕としては、ロッシが再度タイトルを獲得出来るかどうかとなると、現在の最速マシンであるホンダのRC213Vの完成度の高さとペドロサとの組み合わせでの強さを考えると明言は出来ないが、少なくとも同じマシンに乗るロレンソとは互角以上の勝負は出来るのではないかと思っている。

何故なら、多くの人は2010年序盤、ロッシよりロレンソの方が優勢だった事を覚えていて、現在の実力ではロッシよりロレンソの方が上回っていると考えているのだと思うが、ロッシが大腿骨の骨折から復帰した後、むしろ大腿骨の骨折より以前より痛めていた肩の怪我の影響の方が大きかったとコメントしていた事を考えれば、2010年序盤の劣勢も肩の怪我の影響だった可能性が高いと思うからだ。

それにロッシは何としてもドゥカ時代の低迷の雪辱を果たしたいという強い決意を持ってチャレンジャーとしてヤマハに戻って来る。そういう高いモチべーションに燃えているロッシ程強い存在はないし、何より相性に問題がない事がはっきりしているヤマハに乗れば、本来のロッシの実力を遺憾なく発揮できる事は間違いない。

もっとも、2013年序盤は2年間もヤマハと大きく特性の違うマシンに乗っていた事から、かつての感覚を取り戻すのに多少の時間を要する可能性は高いし、そういう意味では今年のシーズン後のテストで雨に祟られて十分走り込みが出来なかった事も少なからぬ影響はあるかもしれない。

しかしシーズン後半になればかつての速さを取り戻すに違いないと思うし、2014年シーズンはタイトルを獲得するかどうかは別にして十分タイトル争いに加わり、レースファンを熱狂させる活躍をしてくれるに違いないと思う。

再来年の話をするのは、まだ早過ぎると思うが、とりあえず本来のロッシらしいライディングがまた観られる事になった2013年シーズンを大いに楽しみにしたい。

ペドロサのタイトル獲得を阻んだレース裁定

前項で述べたとおり、2012年シーズン開幕直前にタイヤ仕様変更の決定がされた時点で、ストーナーのタイトル獲得の可能性はかなり厳しいものになってしまったと言えると思う。

しかし、ホンダはタイトル獲得を諦めなかった。シーズン中盤に2013年から投入予定だったニュースペックのフロントタイヤに合わせて開発したニューマシンを実戦投入する決断を下したのだ。

タイトルを獲得する為には、ライダーが危険と言う程、ニュースペックタイヤと相性の悪いマシン特性を改善する必要があり、その為には付け焼刃の改良では無理で、マシンを一から開発し直さなければならない。それはタイトル獲得の為には必要な決断だったとは言え、この不況で天下のホンダもレース予算が削減されている厳しい状況下では、かなりの困難を伴う決断だったに違いないと思う。

それでも、そのニューマシンが初投入されたラグナセカで、ペドロサがフリー走行1とフリー走行2でいきなりトップタイムをマークする程の完成度の高さを示し、そのデビューレースではセッティングを詰め切れず優勝は逃したが3位表彰台を獲得し、続くインディアナポリスでは早くも優勝を果たし、ニューマシンは大きな成果を挙げた。

シーズン途中で全くのニューマシンが投入されて、いきなり成果を挙げる例というのはかなり稀であり、ホンダのタイトル獲得への執念と高い開発力を感じさせる結果となった。

その一方で、ニューフレームを改善効果がないと評価したストーナーはニュースペックエンジンと旧フレームの組み合わせを選択し、続くインディアナポリスでは、プレシーズンテストで新構造のタイヤに対し「却って危険」と評価した本人の言葉通り、転倒、骨折という最悪の状況に陥ってしまう。

僕はこのペドロサとストーナーのニューフレームに対する明暗の差もよく理解出来る気がする。

前項でも述べたとおり、ブリヂストンの柔構造と呼ばれる新構造を採用したニュースペックタイヤはミシュランが採用していた構造に似ているのだという。

ホンダにはかつてミシュランを採用していた当時のペドロサの走行データが豊富に残っていた訳で、そのデータを基にニュースペックタイヤの特性と相性の良いフレームを開発したのだろうと思う。

そして、当時のミシュランタイヤは、ロッシがいち早くブリヂストンへのスイッチを決めた様に、ブリヂストンに対して劣勢であり、特にホンダはヤマハ以上にミシュランタイヤとの相性に問題を抱え、激しいチャタリングに多くのホンダライダーが悩まされ低迷する中、ペドロサはかろうじてタイトル争いに名前を連ねる事は出来る所まで善戦しており、どちらかと言うとミシュランタイヤとの相性は悪くなかったライダーだと言える。

その為、当時のペドロサの走行データを基に開発されたニューマシンは、ミシュランに特性が似たニュースペックタイヤとペドロサのライディングスタイルにはベストマッチのマシンに仕上がったが、ペドロサとはかなりスタイルの違うストーナーのライディングスタイルには合わないフレーム特性に仕上がっていたのだろう。

だから、ストーナーは結局自分のライディングスタイルに合わせて開発された旧フレームの方を選択したのだと思う。

僕は以前からライダーとマシン特性の相性の重要性を主張しているが、この事でもそれが証明されたと思う。

誰もがストーナーとペドロサを比べたらストーナーの方が速いと思うだろう。しかし、それはストーナーがストーナーのライディングスタイルと相性の良いマシンに乗っていればという前提であり、ペドロサとの相性が良いマシンに乗れば、立場が逆転してしまう程、微妙なものでもあるのだ。

こうして、ニュースペックタイヤと自分のライディングスタイルにベストマッチしたマシンを手に入れたペドロサはかつてない程の強さを見せ、快進撃を開始する。

ストーナーに合わせて開発されたマシンと旧スペックタイヤの組み合わせで戦った前半戦では1勝しか挙げられなかったペドロサが、自分のスタイルと相性の良いマシンとニュースペックタイヤで戦った後半戦では6勝を挙げ、最終的には年間最多勝の7勝を挙げる程の強さを見せた。

それもニューマシンを投入して僅か2戦目のインディアナポリス以降は完走したレースでは全勝という圧倒的強さであり、もう少しで不利なレギュレーション上の決定という逆境を跳ね除けてホンダにタイトルをもたらすという劇的なストーリーを実現する所だった。

シーズンを振り返るとペドロサのタイトル獲得を阻んだ決定的なレースは、第13戦サンマリノGPだったと言えると思う。

このレースでは、スタートシグナル点灯直前、アブラハムのエンジンがストールし、アブラハムが手を挙げてアピールしたことからスタートが中断、仕切り直しとなった。

そして再スタートのサイティングラップが始まろうとした時、ペドロサのマシンのフロントブレーキがロックするというトラブルに襲われる。メカニックはマシンを交換するために一度ピットロードにマシンを入れるが、その時トラブルが解消した為、マシンはグリッドに戻されペドロサはグリッドからサイティングラップをスタートさせたが、一度ピットロードにマシンを入れた為、最後尾スタートのペナルティを課せられる事になる。

僕は再スタートの際、タイトル争いの真っ只中にあるペドロサが最後尾からスタートするのを見て、何が起こったのか分からず、まるで悪夢の様だと思ったが、本当の悪夢はその後に待っていた。

ペドロサは最後尾から得意のロケットスタートを決め、順調に前のマシンをパスして行った。レース後に、最後尾スタートでも優勝する自信があったと語った言葉は決して負け惜しみではなく、十分その可能があると感じさせる見事な追い上げを見せていた矢先、バルベラの転倒に巻き込まれて1周もする事無くペドロサはレースを終えてしまった。

その瞬間、誰もがペドロサのタイトル獲得の可能性は潰えたと思っただろう。そしてその通りになった。しかし、その後もペドロサはタイトル獲得を諦めずに、その事を忘れさせる程の快進撃を続け、奇跡の大逆転を予感させる所までロレンソを追い詰め、最終的にはフィリップアイランドで自ら転倒してタイトルを逃した。

その為、最終的には自滅してタイトルを失ったという印象が残ってしまった感があるが、並みのライダーだったら、サンマリノGPの後、そこまで盛り返す事さえ出来なかっただろうし、サンマリノGPでのノーポイントがなかったら、ペドロサもあそこまで追い詰められる事もなかっただろう。

それまでのレースではペドロサは余裕でロレンソを打ち負かして来ており、ロレンソに勝つためだけなら無理をする必要はなかった筈だ。あのレースで転倒する程攻めていたのは、最終戦を前に少しでも多くポイントを稼ぐ為に、どうしてもストーナーに勝ちたいと思っていたからだろう。

負傷欠場から復帰したばかりとは言え、地元フィリップアイランドでのストーナーの強さは神懸り的なレベルだ。通常なら地元でストーナーに勝てなくても無理はないと考えるところだろうが、ペドロサはどうしてもストーナーに勝ってロレンソとのポイント差を広げたいと気負ってしまったのだと思う。

もし、サンマリノGPでのノーポイントがなかったら、ロレンソとのポイント差もそこまで大きくはならず、ペドロサも冷静になって手堅く2位でオーストラリアGPを終える事を選択し、最終戦で逆転タイトルを獲得していた可能性は高かったと思う。

そして仮にフィリップアイランドで転倒してしまったとしても、サンマリノGPでポイントを獲得していれば、最終戦までタイトルの決着は持ち越されていた訳で、十分逆転タイトルの可能性はあったと思う。

結局、ペドロサがタイトルを獲得出来なかった最大の要因は、サンマリノGPでのレース裁定にあったと思う。確かにそれはルールブック通りの裁定であったかもしれない。しかし、ペドロサのマシンを襲ったトラブルは、アブラハムのエンジントラブルを原因としたスタート中断の影響で生じたものであり、自己責任とは言い難い。

そもそも、スタートが中断しなければ、ペドロサのマシンはトラブルには見舞われる事はなく、PPから普通にスタートしてトップを快走していた筈で、誰の転倒にも巻き込まれる事はなかっただろう。

対するアブラハムのマシントラブルは、午前のフリー走行から発生していたものらしく、そのトラブルを解消出来ないままマシンをグリッドに送り出したアブラハムのチームの自己責任に寄るものと言って良い。

例えルール通りとは言え、アブラハムの自己責任によるトラブルは救済され、その影響により発生したペドロサのトラブルは救済されなかったという事は、どうにも不公平に思えて納得しがたいものだ。

しかも、それがシーズンのタイトル争いを決定付ける結果に繋がったとなると尚更である。タイトル争いのさなかにあるライダーが自己責任とは言い難いトラブルでグリッド降格となると、レースの楽しみの半減するし、何よりそんな事でタイトルの行方が左右される事になれば、タイトル争いの当事者もレースファンも納得出来ないだろう。

この様なケースなら特別措置が取られたとしても、良いのではないかと思うし、本来なら特別措置などしなくてもこの様な事態が起こらない様なルールにしてもらいたいと思う。

通常のスタートの際は別として、再スタートの際は本当に悪質なルール違反等があった場合を除き、1回目のスターティンググリッド順から変更はしないと決めれば良いだけの話なので、是非ともルール改正をして欲しいと思う。

実際にタイトルを獲得したロレンソとヤマハには落ち度はないし、申し訳ないと思うが、やはり今年最速だったマシンはホンダのRC213Vだったと思うし、全員が旧スペックタイヤという同条件の下で1番速かったのはストーナー、新スペックタイヤで1番速かったのはペドロサだったと思う。

ロレンソはそのどちらでも安定して速かったのに対し、ホンダはシーズン前半はストーナーの方が速く、後半はペドロサの方が速く、ホンダ勢同士でポイントを奪い合ってしまった事もあり、ヤマハ勢で常に最速だったロレンソが優位だったが、その条件化でもペドロサが年間7勝の最多勝を挙げ、実質的に年間を通して2012年のチャンピオンに相応しい走りをしていたのは彼だったと思う。

特に後半戦に関しては観ていてロレンソがペドロサに勝てるというイメージは全然感じなかった。それでも安定して2位に入り続けた結果タイトルを獲得した事を考えると、現在のポイント配分はやや優勝の重みが軽んじられているのではないかと感じた程だ。優勝のポイントと2位のポイントはもっと格差があって然るべきかも知れない。

その様な実力通りのライダーがタイトルを獲得する事を妨げるような、レギュレーションやルールは是非改善して欲しいと願う。

2012年12月30日日曜日

ストーナーのラストイヤーを台無しにしたタイヤレギュレーション

またblogの更新が滞ってしまった。今年は色々MotoGPのあり方を考えさせられる問題が多く、書きたい事が沢山あったのだが、とりあえず今年が終わる前に、それらの事を駆け足で書き留めておきたい。

まず、今年のMotoGPで印象に残ったのは、幾つかの局面でレギュレーションがタイトル争いの行方を左右してしまったシーズンだという事だ。

その第一がシーズンが始まってから、今年度のタイヤ仕様を変更するという決定が成された事の影響である。僕は以前、タイヤワンメイクのレギュレーション変更による弊害を危惧するエントリーを書いた事があるが、その心配が正に的中してしまったと思う。

2012年シーズンは本来であれば、シーズン開幕早々に今シーズン限りでの引退を表明したケーシー・ストーナーが引退の花道を飾るシーズンになっていた筈だと思う。

実際、昨年ホンダに復帰した初年度に圧倒的強さでタイトルを獲得したストーナーは、その1年間を通してストーナーの走りに合わせて開発されたと考えて間違いないであろうニューマシンRC213Vでも、その好調を維持し、プレシーズンテストでは常に最速タイムを刻み、本人も「テストはもう飽きたから、早くレースをやろう。」とコメントする程盤石な状態だった。

あのまま何事もなくシーズンが開幕していたら、おそらくは昨年以上の圧倒的強さで3度目のタイトルを軽々と獲得して有終の美を飾っていたに違いないと思う。

しかし、異変はそのプレシーズンテストから始まっていた。ブリヂストンは現在の仕様のフロントタイヤが、暖まるのが遅くレース開始直後のグリップが低い為にレース序盤での転倒が多いという批判を受けて、2013年の導入を目指して、柔構造と呼ばれる新構造を採用したニュータイヤを開発し、プレシーズンテストで、そのニュータイヤをライダー達にテストして評価してもらった所、一部の僅かなライダーを除いて好評だった事から、2013年からの投入予定を前倒しし、今シーズンから投入する事を決定した。

これだけ聞けば、さほど問題には感じられないかもしれない。しかし、問題なのはその一部の僅かなライダーというのが、実はレプソルホンダのストーナーとペドロサの2人だった事だ。

僅かなライダーというのが、タイトル争いに関係のないランキング下位のライダーだったら、その様なライダーの主張が無視されたとしても仕方ないと言えるかもしれない。

だが、タイトル争いの主役であるディフェンディングチャンピオンを含む、チャンピオンチームに所属する二人のライダーが揃って「却って危険」と採用に反対したタイヤの採用があっさりと決定してしまった事には正直驚きを禁じ得なかった。

現在タイトルを争える実力と環境を備えたライダーと言えば、ストーナー、ロレンソ、ペドロサの3強と言って良いだろう。

その3強の内、2人にとって不利な決定がイコールコンディションの大義名分の元に成されてしまい。残る一人、ロレンソにとって圧倒的に有利な状況がその時点で構築されてしまったのである。

ホンダ以外のメーカーにとっては願ってもない決定であるが、ホンダにとってはとんでもない決定である。当然のごとくホンダは猛反発し抗議したが、その抗議も僅かにシーズン中盤までは旧スペックタイヤも使用出来るという僅かな譲歩を引き出す事しか出来なかった。

2012年仕様のタイヤに合わせてマシンを開発したのに、そのタイヤを突然全く特性の異なるタイヤに変更される。それはマシン開発を一からやり直す必要が生じるという事であり、ホンダの憤りは良く理解出来る。

たまたま、ホンダ以外のメーカーはニュースペックタイヤとも相性が良かったから反対しなかっただけであり、むしろホンダが不利になる分有難いという事もあったのかもしれないが、本当にそれで良いのかと思う。

ホンダが1番タイヤ変更の影響を受けたという事は、ホンダが1番本来の2012年仕様のタイヤと相性の良いマシン開発に成功していたという事で、最も良い開発をしたメーカーが不利になる様な変更を認める事が今後の事を考えると本当に良い事とは思えない。他のメーカーもいつかホンダの様な立場になってしまう可能性もある訳で、ホンダ以外のメーカーがこの突然の変更を受け入れたり、ホンダの抗議に対して賛同しなかったのは、本当に懸命な判断だったと言えるだろうか?

僕はホンダのワークスマシンだけが、ニュースペックタイヤと相性が悪かった理由は良く分かる様な気がする。

実は今回ブリヂストンが採用した柔構造という新しい構造は、ミシュランのフロントタイヤが採用していた構造に近いのだそうだ。

ストーナーはLCRホンダ時代、そのミシュランのフロントタイヤと相性が悪く、フロントからの転倒を繰り返し、ミシュランよりフロントタイヤのグリップ力が勝るブリヂストンを採用していたドゥカティへ移籍した事で安定した走りが出来る様になり、初タイトルを獲得した。

ホンダの2012年型のRC213Vはそのストーナーの走りの特性を最大限に生かせる様に開発されたマシンの筈だ。つまり、ブリヂストンの高いグリップ力を誇るフロントタイヤの特性に合わせたマシン造りをしたに違いない。

その結果、ストーナー自身元々柔構造を採用していたミシュランタイヤと相性が悪かった為に、そのミシュランと同じ柔構造を採用した新スペックタイヤと相性が悪いのは当然として、そのストーナーと旧構造のフロントタイヤにベストマッチする特性に仕上がっていたRC213Vとも相性が悪かったのだと思う。

ストーナーの初タイトルは同時にブリヂストンに取っても初タイトルだった。ブリヂストンにとってはストーナーは初タイトルをもたらしてくれた恩人と言って良いと思う。そして、当然ながらストーナーが柔構造のフロントタイヤとは相性が悪い事も良く知っていたに違いない。

そのブリヂストンが有終の美を飾るべきシーズンに挑むストーナーにとって相性の悪いタイヤと知りながら、その投入を1年前倒しにする決定をした事は理解に苦しむ。

もし、逆にストーナーとの相性の悪いタイヤの投入を、ストーナーの為に予定より1年遅らせたというのなら贔屓と批判されるかもしれない。しかし、本来2013年から投入予定だったタイヤを1年前倒しするかどうかの選択に際し、今年限りで引退するストーナーとの相性を考慮して、1年前倒しするのをやめて当初の予定通りにしたというだけなら、特に批判される様な事ではない筈だ。

僕がこの決定に批判的なのは、その決定が公平とは思えない事、引退の花道を飾れる筈だったストーナーに同情するからだけではない。一レースファンとして、シーズン開幕直前にタイトル争いを左右する様な決定がなされた事は許し難い事だと思うからだ。

最初に書いた様に2012年シーズン、タイトルを争える可能性のあったライダーはストーナー、ロレンソ、ペドロサの3人だけだった。その内2人のライダーに取って不利な決定がシーズン開幕直前になされるというのは、残りの一人ロレンソに取って圧倒的に有利な決定であり、この決定によって2012年のチャンピオンがほぼ決まってしまった様なものだからだ。果たしてその様な決定が本当に許されていいものだろうか?

シーズン前半こそ、旧スペックタイヤの使用も許されたが、他のライダーは暖まるのが早く直ぐに充分なグリップ力を発揮するタイヤを履いており、レース序盤から飛ばして行く事が出来るのに対し、暖まるのに時間がかかる旧スペックタイヤを使わざるを得ないストーナーとペドロサは、レース序盤はペースを上げる事が難しく、しかも他のライダーに負けまいと頑張ればグリップ力が充分でないタイヤで転倒するリスクを抱えてのレースとなる訳で、不利である事には変わりがない。

それでもシーズン序盤、ホンダ勢はストーナーが3勝、ペドロサが1勝を挙げ、ロレンソの4勝に対しメーカー勝負では5分に持ち込む頑張りを見せた。

しかし、旧スペックタイヤが使えなくなったシーズン後半。ニュースペックタイヤに合わせた2013年使用のニューマシンを投入したホンダはペドロサがニューフレームと高い順応性を見せたのに対し、ストーナーは旧フレームの継続使用を決断。その苦しい状況の中、得意のラグナセカでは優勝してみせたが、相性の悪いタイヤでの無理が祟り続くインディアナポリスではフリー走行で転倒して骨折してしまい、その後の数戦を欠場する事になり最後のシーズンでのタイトル獲得の望みは絶たれる事になった。

ストーナーにとっての2012年シーズンは、フロントタイヤとの相性が悪く、転倒に泣いたLCRホンダ時代を彷彿させるシーズンだったと言えると思う。ストーナーは最近のインタビューで最も好きだったマシンとしてLCRホンダ時代のRC211Vを上げており「サテライトマシンでタイトル争いなんてできないと嘆く向きが多いけど、マシンだけの話じゃない…絶対にあのマシンでも取れるものだと思ってますよ。」と語っている。

つまり、あの時ストーナーはタイトル獲得の為に当時のベストマシンよりブリヂストンタイヤを選んだという事であり、タイヤさえ相性の良いものであれば、マシンがベストでなくてもタイトルが獲れる事を証明し、ブリヂストンのワンメイクになってからホンダに復帰して、ようやくマシン、タイヤ共にベストのパッケージを手に入れたと思ったら、今度はタイヤの仕様変更でタイトル獲得を阻まれたというのは、なんとも因縁深い話だと思う。

結果として、2012年のタイトルはロレンソが獲得した。しかし、プレシーズンテストの段階では、誰もがストーナーが3度目のタイトルを楽々を獲得すると信じて疑わなかっただろうし、シーズンが終了した今も、多くのファンが2012年1番速かったライダーはストーナーで、ストーナーが最速ライダーのまま引退したと記憶に留めるに違いないと思う。

不公平なレギュレーション上の決定で、このレース史に残る偉大な天才ライダーがラストシーズンをタイトル獲得で飾る事が出来なかったのは非常に残念であるし、レース史に残る汚点ではないかと思う。

この事は、現在のレギュレーション上では、タイヤメーカーの思惑ひとつでチャンピオンライダーを決めてしまう事も可能だという事を示しており、ブリヂストンもしくはドルナにその意志がなかったのだとしても、結果的にその様な事が起きてしまった事は重く受け止めるべきだと思う。

また、もし複数のタイヤメーカーが参戦していれば、かつてのストーナーの様により自分と相性の良いタイヤメーカーを選択するという事も可能なのだが、ワンメイクのままだと仮に今のブリヂストンタイヤと相性の悪いライダーが、本当は相性の良いタイヤさえ使えればタイトルを獲得出来る実力を持っていたとしても、その実力を発揮出来ないままレース人生を終えてしまう可能性もある訳である。

そういう状況を改善する為にも、かつての様に複数のタイヤメーカーが参戦し、レースが健全な競争の場になる事を切望して止まない。







2012年6月17日日曜日

マルケスとエスパルガロのアクシデントについて

本当はいよいよ噴出して来たタイヤワンメイクの問題について書こうと思っていたのだが、カタルニアGPのMoto2クラスで起きたマルケスとエスパルガロのアクシデントが意外な程話題になっているので、今回はその事について書いておきたい。

先ず、この二人の接触は単純なレーシングアクシデントであり、双方に非がないのは火を見るより明らかだ。そもそもペナルティが課せられる様な事象ではないし、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)の審査委員会がそのペナルティをキャンセルしたのは当然の結果と言える。それをチーム・ポンスがFIMのCDI(国際規律法廷)に控訴するという異常な事態になっている。


ポンス・40・HP・トゥエンティ、ペナルティキャンセルの裁定に対して控訴

では、アクシデントの詳細を振り返ってみたい。残り3周の10コーナーで3位走行中のマルケスが立ち上がりで少しアクセルを開け過ぎたのか一瞬リアが流れ出しハイサイドを起こしかける。

ハイサイドというのは、リアタイヤがスライドし過ぎた時、ライダーがスライドを抑えようとしてアクセルを戻した時、その戻す量が大き過ぎリアタイヤのグリップが急激に復活した時に発生する。

レーシングタイヤのグリップ力は強力であり、サーキットの路面のグリップ力も一般道とは比べ物にならない位高い。その強力なグリップ力は急激にマシンを起き上がらせようとする方向に作用する。その力は、時にはバイク毎ライダーをアウト側に放り出してしまう程強力なものだ。

マルケスは素早く対応して、ハイサイドを押さえ込み転倒は免れるが、その結果としてバランスを崩したマシンはコーナーのイン側に切れ込んで行く。そしてイン側を走行していたエスパルガロと接触し、エスパルガロは転倒。そして、もしイン側にエスパルガロがいなかったらマルケスはおそらくコースアウトしていたと思われるが、エスパルガロのマシンがクッションになりコース側に押し戻してくれる形になった為にコースアウトを免れ走行を続行する事となり3位でフィニッシュした。

マルケスはハイサイドにより転倒しかけるというビッグ・アクシデントに見舞われた直後であり、バランスを崩しているマシンをコントールしきれていなかった。角度的に後方にいたエスパルガロは接触直前まで見えていなかった筈であり、エスパルガロに気付いてからでは何かをする時間的猶予はなく、彼に接触を回避する事は不可能だったのは明らかである。

マルケスに何かミスがあったかと言えば、バトル中にミスをして転倒しかけたというだけであり、それはレーシングアクシデントであって責められる事ではない。

対するエスパルガロは、マルケスの後方にいて一部始終を見る事が可能だったのだから、この接触を避けられる可能性があったのは彼だけだと言える。しかし、突然の事に何の対処も出来ず気がついた時にはマルケスのマシンがどんどん近づいて来て、何とか接触を避けようと減速しながらイン側に避けようとしている様に見えるが、イン側に切れ込んで来ているマシンをイン側に避ける事が出来る筈も無く、なす術も無く接触してしまったという形だ。

もし転倒を避けられたとすれば、マルケスが転倒しかかった瞬間にアクセルを緩め、マルケスのマシンがその後どの様な挙動を示すか注視し、イン側に切れ込んで行く兆候が見えたら素早くアウト側に回避する行動を取っていたら避けられたかも知れない。しかし、まだ経験が浅いエスパルガロにあの瞬間にそれだけの冷静な判断と行動が取れなかったとしても無理はないだろう。

従って、この接触に関しては双方に非は認められない。単に転倒しかけてバランスを崩したマルケスをエスパルガロが避け切れなかったというだけである。

しかし、このアクシデントに関し、転倒しかけたマシンがイン側に戻って来る事は通常あり得ないので意図的にマルケスがエスパルガロに抜かれまいとしてイン側にマシンを寄せたと思い込んでいる人も多い様なので、ハイサイドを起こしたマシンが転倒を免れた後イン側に切れ込んで行く事は充分あり得るという事を説明しておきたい。

先ずはコーナリングの原理を説明すると、マシンにはコーナリング中遠心力が作用し、遠心力はマシンをコースのアウト側に押し出そうとして作用している。それをライダーは遠心力に逆らいマシンをイン側に倒し込む事で、マシンをバランスさせてコーナーを旋回している。

つまり、コーナリング中マシンは、遠心力とイン側にマシンを倒そうとする力が鬩ぎ合っているという状態にあり、そのバランスが崩れるとアウト側に膨らんで行くか、イン側に切れ込んで行く事になるのである。

マルケスのマシンもリアスライドを始めた瞬間からマシンはアウト側に流れ始めている。リアスライドが突然だったからなのだろう、マルケスは右足がステップから外れる程体制を崩している。

この写真はTVのキャプチャ画像だが、リアがアウト側に流れ始めているのと、マルケスの外足がステップから外れているのが分かる。

この時反射的にアクセルを緩めたのだろうリアタイヤのグリップ力が復活しマシンハイサイドを起こしマシンは起き上がりかけるが、マルケスは素早くマシンを押さえ込む事に成功している。

この写真と上の写真を見比べると、瞬間的にいかに大きくマシンが起き上がっているか分かるだろう。スライドを始めた段階ではルティとはテールトゥノーズの距離だったが、既にここまで距離が開いている。マルケスがアクセルを戻してハイサイドを誘発した事が分かる。

この辺りのハイサイドを押さえ込んだマルケスの対応の素早さは見事だと言えるが、あるいはリアスライドを起こした瞬間外足が外れた事で、マルケスの体はイン側にずり落ちかける様な体制になっており、その為意図せずイン側に体重がかかる様になっていたのが功を奏したと言えるかも知れない。

どういう事かというと、あれだけマシンがバンクしている状態で外足が外れたら、マルケスはバイクからずり落ちてしまったとしてもおかしくない。そんな時とっさにどうするだろうか?ずり落ちまいとするだろう。外足はステップから外れているので役には立たない。頼りになるのはハンドルを握っている手だけだ。マルケスはずり落ちまいと無意識の内にハンドルに力をかけ、つまりハンドルには車体を下に押し下げようとする力がかかった筈だ。

通常であれば、そんな事をすればマシンは簡単に転倒してしまっただろう。しかし、ハイサイドのマシンを引き起こそうとする力がそれを上回る大きさで作用し、逆にマシンを2枚目の写真の角度まで起き上がらせた。逆に言えばマルケスがずり落ちまいとハンドルに力を入れていなければ、マシンはもっと勢い良く起き上がり、マルケスはアウト側に放り出される形で転倒していたかも知れない。

そして、マシンの起き上がる力によって、ずり落ちるどころかマシンから浮き上がる様になったマルケスの体は、ハイサイドが収まると今度はマシンの上に落下する事になる。そして、その瞬間からマシンはイン側に切れ込んで行く。

マルケスの体重がそれまでよりマシンに荷重されるという事は、マシンをイン側に倒し込む力がその分増す事を意味するからだ。

この連続写真を見ると上の写真ではマルケスのお尻がシートから浮いているのが分かるだろうか?分かり難ければ膝の角度に注目して欲しい。上の写真では膝が伸び気味であるのが分かる筈だ。下の写真ではマルケスの体は通常のポジションに戻っている。この瞬間マシンから浮いていてマシンに荷重が余りかかっていなかったマルケスの体重がしっかりと荷重となってマシンにかかる事になる。そしてその瞬間からマルケスのマシンはイン側に切れ込んで行く。

これは先ほどの遠心力とマシンを倒す力のバランスを思い出せば何が起こったかが分かると思う。ハイサイドによる転倒が回避されたという事は、ハイサイドがマシンをアウト側にはじき飛ばそうとする強大な力に勝る程、イン側にマシンを倒そうとする力が作用した事を意味する。

更に一瞬ハイサイドの力によって浮き上がりマシンから荷重が抜けたマルケスの体重が再びマシンに荷重され、マシンにはよりイン側に倒し込む力が力がかかったのである。

つまり、過剰にイン側に倒し込む力がかかった為にマシンはイン側に切れ込んで行く事になった訳である。

しかも、マルケスはリアタイヤがスライドを始めた時にアクセルを戻している。アクセルを戻したからハイサイドを誘発したのであるからこれは間違いない。

要するにアクシデントが発生した事による一連の流れの結果として、あのコーナーを普通に曲がるのに比べて、アクセルを戻し過ぎ(減速し過ぎ)、マシンを倒し込み過ぎの状態になったという事である。それではマシンはイン側に切れ込んで当たり前だというのが理解出来るだろう。

それでも納得いかないという方がいれば、TV中継の録画もしくはMotoGP公式サイトのビデオ(有料)で、接触する前の空撮映像のリプレイでマルケスとエスパルガロの走行ラインを良く観て欲しい。キャプチャ画像では前後のラインが分かり難いので走行ラインを書き加えてみたが、マルケスからエスパルガロを確認出来ない時点からマルケスはイン側にコースアウトするラインに乗っていて、エスパルガロと接触するまでそのラインを修正しようとする動作を見せていない。

接触前の空撮映像。分かり易い様に両者の走行ラインの軌跡とそれを延長したラインを引いてある。エスパルガロが完全に後にいてマルケスから見えていなかった段階からマルケスのマシンはコースの内側にコースアウトするラインに乗っているのが分かる。

これはマルケスが、普通にコーナリングしてコーナーを抜けられるラインを走っていない事を意味し、アクシデントの結果としてマシンのコントロールを失い、それを取り戻していない事を意味する。

通常のレース映像を見てみよう。この時点ではエスパルガロはイン側を見ていて、マルケスの方を見ていない。次の瞬間、マルケスがイン側に寄って来ているのに気付いてマシンを起こし気味にし、頭を上げている。しかし、マルケスの体制は全く変化せず後ろを振り返ろうとするそぶりもない。ずっと進行方向だけを見ている

おそらくはエスパルガロがマルケスに気付く前と気付いた後の連続写真。ヘルメットの中のエスパルガロの視線がどこを見ているか想像出来るだろう。その瞬間のエスパルガロの動揺がマシンの姿勢の変化に見て取れる。対するマルケスはただ前だけを見てラインをトレースしているだけで、マシンに何の挙動も与えていない。ラインを変更しようという動作をしていないのが分かるだろうか。
1枚目の写真でエスパルガロにマルケスが見えていないのだとすれば、マルケスにエスパルガロを見る事等絶対に不可能なのも分かる筈だ。

では、イン側に切れ込んで行くマシンを何故マルケスはライン修正しようとしなかったのだろうか?

これについては、それが出来なかったか、それとも敢えてしなかったのか、二つの可能性があり断定は出来ない。

先ず、出来なかったという可能性だが、ハイサイドを起こしかけるというのはビッグアクシデントだ。マルケスはかろうじて転倒を免れたが、もう少しでマシンから振り落とされる所だった。それをかろうじて押さえ込む事に成功し、必死でマシンにしがみ付いている所で、気が動転して何も出来ない状態だったという事は想像に難くない。

僕は10代の頃、友達と原付で地元のグランドに侵入して、ダートトラックレースごっこをして遊んだ事があるが、その時にハイサイドを経験した事がある。原付でスピードもせいぜい30〜40km前後しか出てなかったと思うが、それでも走行中のバイクが突然猛烈な力で起き上がり、バイクから放り出される様に転倒するというのは衝撃的な出来事だった。幸い怪我はなかったが、暫くは気が動転して落ち着くまでに結構な時間を要したのを鮮明に覚えている。

原付でもあれだけ恐ろしかったのである。600ccのレーシングマシンで、レーシングスピードで走行中にハイサイドに見舞われるというのが、どれほどの衝撃で、どれほどの恐怖を味わうものか想像して欲しい。

勿論精神的な動揺だけではない。昔、どのレースでライダーが誰だったか忘れてしまったが、多分250ccクラスのレースで、レース中にハイサイドを起こしかけ、それを押さえ込んで走り続けてフィニッシュ出来たライダーが、レース後、ハイサイドを起こしかけた時の衝撃で肋骨を骨折していた事が判明したという事があった事を覚えている。

当時、例え250ccでもレーシングマシンのパワーというのは侮れないものがあり、そのマシンでハイサイドを起こした時の衝撃がいかにすざましいものかと認識を新たにさせられたので、強く印象に残ってる。

想像して欲しい。600ccのレーシングマシンでレーシングスピードで走行中、先ずマシンからずり落ちそうになり、次の瞬間マシンが急激に起き上がり、次の瞬間には体がマシンから浮き上がって、今度はマシンの上に叩き付けられる様に落下したのである。

マルケスの体には瞬間的にそれも下、上、下と、断続的に反対の方向に相当大きなGがかかった筈である。特にずり落ちそうになった時にハイサイドによるマシンが起き上がる力がかかった時には、相対的にかなり大きな力がかかった筈だ。相当な衝撃だっただろう。その時、手首や肩にも大きな衝撃があったのではないかと考えられる。また、一連の動きの中でマシンのタンク等に胸や肘等を強打した可能性も高い。

だから、精神的動揺だけでなく、マルケスが肉体的ダメージを受けていた可能性もあり、アクシデントの直後で何も出来なかったというのは充分にあり得る事だと思う。

もうひとつ、敢えて何もしなかったという可能性だが、通常のコーナリングのアプローチミスであっても、コーナリング中に修正するのは容易ではない。ましてやコーナリング中にハイサイドを起こしかけて、その結果バランスを崩してイン側に切れ込んで行っているという状況で、リカバリしようとしてもそうそう出来るものではない。

無理に何かをしようとしても、却ってバランスを崩して転倒に繋がっていた可能性が極めて高い状況だったと言えるだろう。

そういうケースでは多くのライダーが何もせず、一旦コースアウトしてから充分速度を落として体制を立て直してコースに復帰するという事を選択する事は良くある。

今回の場合も、状況的にはそうするのがベストな状況だったと言えるだろう。マルケスがそう判断してベストな選択をしたのか、それとも実際には何も出来なかったのだが、結果的にそれがベストの選択になっていたのかは分からない。

でも、今回の一件を見る限り、アクシデントがあったにも関わらず結果としては転倒を免れただけでなく3位表彰台を獲得しているのは、たまたまエスパルガロがイン側でクッションになってくれた幸運も含めて、やはり何かを持っているライダーなのかなという印象を受ける。

これで、ハイサイドを起こしかけたマシンがイン側に切れ込んで行った理屈は分かったと思うが、では、ハイサイドを起こしかけたマシンは、転倒を免れた後必ずイン側に切れ込んで行くものなのだろうか?それはそうとは限らない。

ライダーがハイサイドを起こしかけたマシンを抑え込んだ時、ハイサイドを回避するだけの必要充分な力だけを的確にイン側にかけられるという事は先ずあり得ない。通常はハイサイドを回避しようとするあまり過剰に力をかけてしまう筈だ。その場合、ハイサイドによるアウト側への転倒は避けられても結局イン側に転倒してしまうという可能性も充分あり得る。

だが、ライダーによってはそれを察知してハイサイドを回避した次の瞬間マシンを引き起こす力を加える場合もある。ハイサイドに対応するだけでもかなりの対応力だが、更に瞬時に倒し込み過ぎと判断しマシンを引き起こす所まで対応するというのは、本当に世界選手権に参戦する様なトップライダーでなければ出来ない離れ業だと思うが、そういう例も意外と目にする機会は少なくない。

その場合は当然マシンはアウト側に膨らんで行く事になる。そしてそのような場合は一瞬の間にアウト、イン、アウトと大きな力が連続してかかった結果として、マシンにウォブル(振動)が発生する事が多い。ハイサイドを起こしかけたマシンが激しく振られながらアウトに孕んで行って、コースアウトしたりその後転倒してしまう事も時々目にする事があると思う。

その時発生しているウォブルにもちゃんと発生する原因があるのである。同じ様にハイサイドを起こしかけて立ち直ったマシンでも、ウォブルが発生する場合と発生しない場合があり、アウト側に孕んで行く場合とイン側に切れ込んで行く場合がある。そして注意深く観ていればアウト側に孕んで行くときはウォブルが発生している場合が多く、逆にイン側に切れ込んで行く場合はウォブルが発生しているケースは少ない筈だ。

そんな所にも注目してレースを観ていれば、よりレースを楽しめる様になるのではないかと思う。

さて、この様に今回のアクシデントは明らかにレーシングアクシデントであり、どちらのライダーにも非はないと言える。少なくともエスパルガロと接触するまで一度も後を見ていないマルケスに、その責任が問える筈もない。もし、どちらかのライダーにこのアクシデントを回避する事が可能だったかと言えば、それはエスパルガロでありマルケスには不可能だ。だからと言ってエスパルガロにも勿論非はなく、やや未熟だったとは言えるが、回避出来なくてもやむを得ないと言えるだろう。

では、どうしてドルナは一度はマルケスにペナルティを与える決定をしたのだろうか?

ここからは単なる僕の憶測だが、それはドルナが将来MotoGPを支えるスターに成長する事を願っているマルケスに、ダークヒーローにはなって欲しくないと考えているからではないだろうかと思う。

Moto2クラスの競争は激しく、度々接触転倒等のアクシデントが発生する。それはMoto2クラスのライダーがアグレッシブなライダーが多い事も原因になっているが、マルケスもそのアグレッシブなライダーの一人であり、度々そのアクシデントの当事者となっている。

ドルナは例えマルケスに非は無くても、マルケスがその当事者となりアンチマルケスファンからのバッシングの対象になる事を好ましく思っておらず、マルケスにあまりアグレッシブになり過ぎず、そういうアクシデントに巻き込まれない様慎重になって欲しいと考えているのではないか?

もし、マルケスに非があればペナルティを課す事でマルケスも反省するかも知れない。しかし、そうではないのでペナルティは課せられない。当然マルケスは反省する事なく、アグレッシブなレースを続ける。そしてアグレッシブなレースを繰り返す事で、またアクシデントの当事者になってしまう。

だから、カタールGPの時にはアクシデントを呼び込む様なアグレッシブなレースを慎む様マルケスに警告したのではないだろうか?それはあるいは、「次、アクシデントを起こしたら、例え君に非が無くてもペナルティを課すぞ。だから慎重なレースをしろ。」という様な意味を込めての事だったかも知れない。

いずれにしても、今回はもうマルケスをおとなしくさせるには実際にペナルティを課すしかないと思ったのではないかと思う。例え非が無くても理不尽なペナルティを課せられるとなれば、流石に少しは慎重になってくれると思ったのではないだろうか?

また、もうひとつの問題はエスパルガロがノーポイントに終わってしまった事だ。マルケスに非がなかったとしても、マルケスのアクシデントに巻き込まれる形でエスパルガロはノーポイントになってしまった。エスパルガロのファンからすれば、アクシデントの原因を作ったマルケスが3位のポイントを獲得し、それに巻き込まれたエスパルガロがノーポイントに終わったのはやり切れない思いだろう。

それはマルケスへのバッシングへと容易に繋がるだろうし、ますますアンチマルケスファンを増やす事になるかも知れない。

とにかくマルケスのイメージを大事にしたいドルナとしては、マルケスもノーポントにする事で痛み分けとして、少しでもエスパルガロファン、アンチマルケスファンの溜飲を下げたいと思ったのではないだろうか。

とにかく、今回のドルナの判断は大切なスターであるマルケスのイメージをダーティなものではなくクリーンなものにしたいという興行面の思惑が大きく作用していたのではないかと思える。

しかし、そのペナリティはFIMの審議委員会によりあっさり却下された。当たり前の事だ。この様な明らかなレーシングアクシデントがペナルティの対象になる様では、もうレースは成立しなくなってしまう。

そして、レースのジャッジが興行的な思惑によって左右される様な事はあってはならない。

ただし、マルケスにおとなしくなって欲しいというドルナの気持も分からなくもないが、その為にはもっと別の方法を取るべきだろう。

僕は今回のアクシデントの経験を通してマルケス、エスパルガロの両選手が、より慎重で安全なレースが出来るライダーに成長して欲しいと願って止まない。

アクシデント直後マルケスを批判していたエスパルガロは時間を置いて冷静になり反省したのだろう、非常に良いコメントを出しいる。彼がこの経験で人間的に大きく成長を見せた事は素晴らしいと思う。そして、その結果としてライダーとしても大きく成長して強いライダーになり良いレースを見せてくれる事を確信し期待したい。


2012年6月4日月曜日

ドゥカティ GP12の現行エンジンはスクリーマーなのか?

2011年の年間を通して、ドゥカティに何度もフレームを造り直させ、ついに日本車的なオーソドックスなアルミツインスパーフレームを投入させたロッシの2012年シーズンは順調にスタートするかに見えた。

事実、セパンで行われた1回目のプレシーズンテストでは、昨年のポストシーズンに登場した通称GP Zeroから更にフレームを一新し、完全なニューマシンとなったGP12が持ち込まれ、初日こそロッシは好タイムを記録し、シェイクダウンしたばかりのマシンとしては非常に好調だと上機嫌だったが、テストが進み回りのライダーがタイムアップする中ロッシは低迷。僚友のニッキーはおろか、サテライト仕様のGP Zeroに乗るバルベラの後塵を排する事も多くなり、出口が見えないままプレシーズンテストのスケジュールが終了し、迎えた開幕戦カタールGPでは予選12位から決勝10位。レース修了後にはSBK転向を口にする程自暴自棄になっていたという。

続く第2戦スペインGPでは、予選ではMotoGPマシン最下位というだけでなくCRTマシンに乗るド・ピュニエにも抜かれ13位、決勝は9位に終わり、最悪の結果となった予選終了時にはとうとうロッシは「僕にはGP12が理解出来ない」という言葉まで口にする事態となった。

V.ロッシ『僕にはGP12が理解できない…』 - La ChiricoのイタたわGP

続くポルトガルGPでは、予選9位に終わった後、ついに僚友ニッキーのセッティングを参考にするというドクターの異名を持つロッシとしては屈辱的とも思える決断により、ようやく出口を見い出し、決勝7位と僅かながらリザルトを改善する事に成功し、迎えたフランスGPでは開幕以来待望していたウェットレースで、ケーシーと競り合ってみせただけでなく、ケーシーを打ち破って今季初表彰台の2位を獲得した。

今年に入ってからのドライでの目を覆いたくなる様なロッシの成績の低迷振りと、ウェットレースになったとたんドゥカティ移籍後2度目の表彰台、それも移籍後最高位の2位獲得との間のギャップの余りの大きさには驚かされる。いったいGP12に何が起こっているのだろうか?

ひとつにはウェットレースでは、ラップタイム自体がドライレースよりかなり下がる為に、フレームに対しての要求度も下がるという事が言えるだろう。トップスピードも高くないので、フレームにかかるGもドライ程ではなく、ブレーキングもドライ程ハードにかける必要がないので、コーナー進入時のフレームへの負担も小さくて済むだろう。

ロッシが悩まされているドゥカティのフレームの問題点も、ドライレースでのハイレベルなレースで限界点近くまで攻める事で露呈して来るものであり、レースのペース自体が低いウェットレースでは限界点まで攻める事もない為、フレームにも余裕があり問題点が露呈しにくいという事が言えるだろう。

それは逆に言えば、限界点付近ではドゥカティに対して優位性を持っているヤマハやホンダのフレームも、その利点を生かす所までペースが上がらないのでそれほど優位性を示すチャンスがないと言い換える事が出来るだろう。

実際、レースではロッシが久々にケーシー相手にバトルを見せたと言っても、あのロッシが立ち上がりで大きく膨らみ、クロスラインでケーシーに抜き返されるというシーンが何度も繰り返され、ロッシが本来の走りを取り戻したという訳ではないのは明らかだった。

ロッシの武器はハードブレーキングであり、それを利用してコーナー奥まで突っ込み、ライバルをパッシングするというのが、レースでのロッシの最大の見せ場であり、ロッシのライディングの最大の魅力でもある。

ただし、ロッシと並の突っ込み重視のライダーとの最大の違いはそれからであると言える。ブレーキングを遅らせて先行車をパスする。それだけなら、最高峰クラスのMotoGPに参戦するライダーのレベルならさほど難しい事ではない。しかし、コーナー前半で無理をすればコーナー後半にそのツケが回って来るのは当然であり、立ち上がりでコーナーを回り切れずアウト側に膨らんでいってしまい、折角パスしたライダーにクロスラインで抜き返されてしまうというのは良く見られるシーンである。

ヤマハ時代のロッシは違った。誰よりも奥深くまで突っ込んだとしても、立ち上がりでアウトに膨らむという事等なく、タイトなラインをキープして鋭くコーナーを立ち上がって行くのがロッシのライディングの真骨頂であり、コーナー進入で相手をパスをしてもコーナー立ち上がりのクロスラインで抜き返されるという事がほとんどないというのがロッシの強みであり、ロッシのライディングの芸術的な美しさの所以であると言えると思う。

そのロッシが立ち上がりで大きく膨らんでいきケーシーに抜き返されるシーンが何度も繰り返し見られたのは、ロッシがウェットでも本来の理想的なライディングを出来る状態ではないという事を示していて、ウェットになってドゥカティのパフォーマンスが改善されると言っても、決してフレーム特性が大きく改善される訳ではないという事を示していると言えるだろう。

では、ウェットでドゥカティが速く走れる最大の要因は何なのであろうか?実は当初ウェットでドゥカティが速く走れるのは何故か分からないとコメントしていたロッシも、フランスGP後、気を良くしたのかその理由の一端をエンジンパワーを落とす事が出来るからではないかと明かしている。

V.ロッシ:ロッシ終焉説を見返しましたね? - La ChiricoのイタたわGP

また、ロッシは低迷から抜け出せず喘いでいた時期のインタビューでドゥカティの問題点をエンジンが乱暴過ぎるからだと語っていたのだ。

V.ロッシ:ドゥカティに不満ぶちまけ独占インタビュー【前編】 - La ChiricoのイタたわGP

そして、実はフランスGPの前戦ポルトガルGPの事後テストで、ドゥカティは新しい仕様のエンジンのテストを予定していた。

F.プレツィオージ『エンジン3基目はシルバーストーン、4基目はラグーナセーカ』 - La ChiricoのイタたわGP

残念ながらこのテストは悪天候の為に延期となり、新仕様のエンジンのテストは先送りになった。しかし、その直後のフランスGPでロッシは2位表彰台を獲得し、その理由をロッシがエンジン特性にあると感じたという事は、やはりドライでのドゥカティの低迷の1番の理由は現行エンジンのエンジン特性にあると言えるのではないだろうか?

その事を考えた時、僕の頭の中にはひょっとしてGP12の現行エンジンはスクリーマーではないのか?という疑問が生じた。

しかし、ドゥカティのエンジンは800cc時代から既にビッグバンだった筈だ。そして昨年GP12の先行開発モデルをロッシが初テストした時のニュースではエンジンはビッグバンだと明記されている。

motogp.com ・V.ロッシ、デスモセディチGP12を初ライド

しかし、現行のGP12のエンジン形式に関しては特に明確な情報は得られなかった。

スクリーマーとは等間隔爆発の点火タイミングのエンジンの事で、ビッグバンとは位相同爆の点火タイミングを持つエンジンの事である。元々は2サイクルのNSR500の時代にホンダが有効性を確認したテクノロジーで、エンジンの出力特性がマイルドになり扱い易い特性になると言われている。

4サイクル時代になってもその有効性は確認され、ホンダは990ccのRC211Vから現在のRC213Vに至るまで一貫してビッグバンエンジンを採用していると思われる。

位相同爆はV型エンジンで開発されたテクノロジーの為、インライン4では採用が難しいと思われていたが、ヤマハはインライン4で位相同爆を実現するテクノロジー、クロスプレーンカムシャフトを開発し、ロッシが移籍した2004年から投入。それまでエンジンがピーキーで扱い難く、転倒が多かったYZR-M1が劇的に扱い易くなったと言われ、ロッシがそのエンジンをスィートだと高く評価していたのは有名な話だ。

そのYZR-M1のビッグバンエンジンをスィートと表現していたロッシが、ドゥカティのエンジンを乱暴と表現しているのが非常に気になったのだ。

V4とインライン4とエンジン形式が違いがあるとは言え、エンジン出力がマイルドである筈のビッグバンエンジンを同じ様に採用していたら、スィートと乱暴という正反対の表現になる程の違いが生じるものだろうか?

しかも、ロッシは昨年まではドゥカティのフレーム特性の問題に言及してもエンジン特性の問題を口にした事はなかったと記憶しているし、ビッグバンエンジンである事が明言されていたGP12の先行開発車をテストした時は特にエンジンが最高だと絶賛している。

だからこそ、ここに来て急にロッシがドゥカティのエンジンを乱暴過ぎると批判した事が唐突に感じられるし、エンジンが当初のビッグバンからスクリーマーに変更されたと想定すると、2012年になってからロッシの成績が昨年以上に悪化してしまった事も説明出来る様に思えるのだ。

では、もし本当にGP12の現行エンジンがスクリーマーだとして、どうしてドゥカティはその様な変更をしたのか?その理由を推理してみたいと思う。

推理1:ロッシが移籍してから主にフレーム特性の問題でロッシの低迷が続いている。メーカーとしてそのロッシの苦労をエンジンパワーの向上でアシストしたいと考え、ビッグパンよりエンジンのピークパワーを追求するのに有利なスクリーマーエンジンを採用したのではないか?

推理2:ドゥカティは990cc時代に一度スクリーマーとビッグバンを比較テストしているが、その時はカピロッシはビッグバンに特に有効性はないとしてスクリーマーを選択している。その後800ccの時代になり、排気量がダウンした分エンジン特性がピーキーで扱い難くなった為に再び比較テストを行い、その時はケーシー、カピロッシ共にビッグバンの有効性を認めてビッグバンを選択している。その経験からドゥカティは1000ccの排気量ではビッグバンの利点は大きくなくスクリーマーでも問題ないと考えているのではないか?

推理3:現在のレギュレーションでは1000ccエンジンのボア径が81mmに制限されている。これは990cc時代のボア径86mmより小さく、エンジンをロングストローク化する事でエンジンの高回転化によるコストを抑制する目的であり、デスモドロミックという高回転時のバルブ動作の安定性の高さを誇るドゥカティ自慢の特許技術の実力が発揮しにくくなる事を意味する。エンジニアからするとドゥカティの最大の優位性でもあり最大のアイデンティティでもあるこの技術の実力を充分に発揮出来ないというのは不本意であると考えられ、少しでも高回転型エンジンとしたいという考えからビッグバンより高回転型となるスクリーマーを選択したのではないか?

どれも完全な憶測に過ぎないが、ドゥカティというのはやはりエンジンパワーを最大の武器にしてきたメーカーであり、エンジニアにはエンジンパワーで他社に勝ちたいという気持が強くあるに違いないと思う。特に現在はフレーム特性の問題で成績が低迷しているという事もあり、ドゥカティのエンジニアの中には「フレームで勝てないならエンジンで勝てば良い。それがうちの勝ち方だ。」という考えを持つ者が多かったとしても不思議ではない。

特に990cc時代はそのエンジンパワーでは他社を圧倒しており、その時のエンジン形式がスクリーマーだったのだから、当時を知るエンジニアにはスクリーマーエンジンに対する抵抗感はないだろうし、むしろ1000cc化をチャンスと考え、990cc時代と同じスクリーマーエンジンに戻し、再びエンジンパワーで他社を圧倒する本来のドゥカティらしい姿を取り戻したいと渇望したとしても当然ではないだろうか?

その証拠にドゥカティのマネージャープレツィオージ氏は前述の記事の中で予定されていた新仕様エンジンについてこう語っている。 


「1000ccエンジンと言うものは既にトルクが大きいわけですから、それを増やしても役には立たないでしょうし…電子制御システムがより働くようになるだけでしょうね。確証を得るにはコースで走らせてみなければね…」


新仕様のエンジンは高トルク型であるが、1000ccのエンジンは充分高トルクなのでそれによる改善には懐疑的な様である。しかし、それでもテストしようとしていたのは改善出来るという考えの者がいたからだろうし、実際ウェットレースの為、エンジンパワーを抑える事で扱い易い特性になったと考えられるフランスGPでロッシが2位表彰台に立った現在では扱い易いエンジン特性の実現は重要なテーマである事がよりはっきりしたと言えるだろう。

また、ビッグバンエンジンというのは単純にトルクが大きいという訳ではなく、トルク出力の特性自体がスクリーマーエンジンと異なるので、扱い易いというのが正しい筈なのだが、これについてはプレツィオージ氏の誤解なのか、それともやはりGP12の現行エンジンはやはりビッグバンであり、新仕様のエンジンとはスクリーマーとビッグバンの様にエンジン形式が異なる程の根本的な違いがある訳ではない事を示しているかは判断がつきかねる。

エンジンを乱暴と評価したロッシ本人が同じインタビューで「エンジンは800だろうが1000だろうが全く変わりない」とコメントしているのも予測を難しくしている。

だとすれば、ドゥカティのエンジンは800ccでも1000ccでも出力特性に問題を抱えていて、排気量が1000ccになってパワーが上がった事でそれがより顕著になっているという事だろうか?

考えられるのは、ドゥカティのビッグバンエンジンがホンダやヤマハのそれとは方式が違って、ホンダやヤマハ程の充分な効果が得られていないのではないか?と言う事だ。

実はその疑問は990cc時代にカピロッシがビッグバンエンジンを評価せず、スクリーマーを選択した時から感じていたものだ。

ホンダは990ccのRC211Vを開発した当初から迷う事なくビッグバンを採用しているし、ヤマハがスクリーマーからビッグバンに変更して大きな成果を挙げたのも990cc時代の事だ。ドゥカティだけが、990ccではビッグバンは有効性は無く、800ccでは有効だと判断しているのである。それは何故だろうか?

当初僕はそれを単純にカピロッシがスクリーマーの出力フィーリングを好んだからではないかと考えていた。最初にビッグバンを採用したNSR500に乗っていたミック・ドゥーハンも当初ビッグバンの有効性を認めていたが、他のライダーもビッグバンに乗り横並びになってからは、一人スクリーマーを選択し、よりピークパワーに勝るスクリーマーを乗りこなす事で優位性を築こうとし、それに成功している。

僕はカピロッシも同様にスクリーマーのピークパワーと速く感じるフィーリングの方を選択したのではないかと考えていたのだが、元々ドゥカティのビッグバンエンジンには他社のビッグバンエンジン程の効果がないのだとしたら話は違って来る。

800cc時代にはエンジン特性がピーキーになった事で、効果が薄くても990ccの時よりは効果が感じられる様になっただけで、他社のビッグバンエンジン程効果はなかったのかも知れない。

そう考えると、YZR-M1のエンジンをスィートと評価していたロッシが「800も1000全く変わらない」と言ったのはドゥカティのエンジンは800cc時代からスィートではなく乱暴だったという事なのだろうか?と思えて来る。800cc時代に特にエンジン特性の問題に言及していた記憶はないが、単に公言しなかっただけで800cc時代から問題はあったのだろうか?

勿論そういう事も充分考えられる。YZR-M1のエンジンはタイヤに優しいと言われ、レース前半先行していたホンダをロレンソがレース後半逆転して優勝する事が多いのはその為と言われていて、そのタイヤに優しい理由がビッグバンによるトルク特性にあると言われている。

であれば、ヤマハのビッグバンエンジンとホンダのビッグバンエンジンは同じビッグバンエンジンでも出力特性は同じではないと言える。

それはヤマハのエンジンはインライン4であり、ホンダのエンジンはV4なので、その形式の違いが特性の違いになっているという事が大きいのではないかと思う。ホンダとドゥカティは共にV4だが、ホンダは狭角V4であり、ドゥカティは90度V4(L4)なのでやはり特性は異なるかも知れない。

また、同じビッグバンとは言っても、点火タイミングが全く同じとは限らないし、点火タイミングを変える事でエンジン特性も変わると言われている。他にもビッグバンエンジンの出力特性を左右する要素は色々あるかも知れない。

とにかく、今のドゥカティの不振の理由のひとつがその乱暴過ぎるエンジン特性による事はほぼ確かだろう。

僕がGP12の現行エンジンがスクリーマーだと疑ったのは、それならば問題解決はビッグバンにすれば容易だろうという希望的観測からでもある。

しかし、もし現行エンジンがビッグバンだとすれば、その根本的解決は難しいと考えざるを得ない。

そして、もしドゥカティのデスモドロミックL4エンジンが、ビッグバン化しても他社エンジン程扱い易い特性にはならないのだとしたら、その他社を圧倒するピークパワーを発揮する独自のエンジン形式に由来する個性だという事が考えられる。

僕は前項、前々項でドゥカティ独自のL4エンジンのレイアウトが優れたフレーム特性を追求するのにいかに不利であるかを考えて来たが、そのエンジンが出力特性の扱いづらさという面でも解決の難しさを兼ね備えたものなのだとしたら、ロッシの選んだ道はあまりにも険しいものだったと思わざるを得ない。

そしてインライン4エンジンというエンジン形式はフレーム設計の面でも扱い易い出力特性という面でも優れたエンジン形式なのだとしたら、益々理想のレーシングエンジンはインライン4だと言えるのではないかという印象が強くなって来た。

ただ、日本車的なアルミツインスパーフレームをドゥカティに投入する決断をさせたロッシでも、ドゥカティに伝統あるL4エンジンを捨てさせインライン4エンジンを投入させる事は出来ないだろう。出来れば、ドゥカティのエンジニアがL4エンジンをロッシ好みのスィートなエンジンに変身させる名案を見い出して欲しいと願うばかりだ。

いずれにしても今はドゥカティが投入を予定している新仕様のエンジンが功を奏して、ロッシの成績が改善される事を期待して、その投入を心待ちにしたいと思う。

*記事の中でLa ChiricoさんのBlog、イタたわGPを参考にさせていただきました。MotoGP公式サイト以上に有益な情報が満載の貴重なBlogで非常に有難いと思っています。

2012年5月30日水曜日

フレーム特性とライディングスタイルについて

前項ではドゥカティ独自のフレーム特性の問題について触れたが、ここで一般的なフレーム特性の事を書いておきたい。

僕がこれから書く事は、様々なバイク雑誌、レース雑誌の記事から得た知識が基になっている。それに現在はペーパーライダーだが、若い頃は市販車で公道を走っていたライダーとしての自分の経験を照らし合わせたり、レース映像やライダーのコメントを照らし合わせたりして自分で納得して積み上げていったものである。

中でも元カワサキ、スズキ、ホンダで開発ライダーを務めた故阿部孝夫氏のレース雑誌での解説記事で得た知識が大きい。通常、開発ライダーはその仕事の特性上守秘義務があると思われ、マシン開発に関係する詳細な事柄を話す事は先ずない。

しかし、阿部孝夫氏は引退後レース関係の仕事には就かず、漁師に転身した傍ら時々レース雑誌でワークスマシンの試乗記事を書かれていたのだが、その記事の内容は非常に論理的かつ分かり易く、大変貴重なものだったと思う。

氏の記事で印象的だったのは、氏がかつて自身が開発ライダーを務めていたホンダのレースマシンのフレーム設計に対し非常に批判的であり、その一方で国内メーカーで唯一所属した事がなかったヤマハのフレームを大絶賛していた事だ。

氏は開発ライダー時代、自分の主張をなかなかホンダのエンジニアが理解してくれなかった事を明かしている。氏が理想として描いていた特性のフレームを引退後試乗したヤマハのレーサーに見い出したのだろう。それは大変興味深い事だった。

二輪ロードレースの歴史の大部分はホンダとヤマハの日本の二大メーカーの争いの歴史だったと言っても過言ではないと思う。この二大メーカーの戦いはエンジンパワーのホンダとコーナリングのヤマハの戦いだったと言い換えても良い。

これは、エンジンパワーの追求を何よりも最優先していたホンダとエンジンパワーではどうしてもホンダに敵わなかったヤマハがホンダに勝つ為に、コーナリング特性で勝るマシンを開発して対抗しようとした結果という事が出来るだろう。

そのヤマハに対しベストハンドリングマシンという言葉が良く使われる事がある。だが、実際にヤマハの市販車に乗ってみるとフロントはどっしりと重く決して軽快ではない。最近の市販車には乗っていないが基本的には変わっていないと思う。

ヤマハのマシンはハンドルを切って曲がろうとしてもなかなか曲がってくれない。その代わり、ヤマハのマシンは体重をかけて倒し込むと奇麗に曲がってくれる。コーナリング中もどっしりと安定していて狙ったラインを奇麗にトレースしていく安心感があるが、慣れて来ると体重移動で軽快にコーナリング出来る様になり、その時の人車一体感の高さというのがヤマハの大きな特徴と言えるだろう。

ヤマハはフロントステアではなくリアステアで曲がるバイクだと言え、もっと言えばフレームで曲がるバイクだと言えるだろう。

対するホンダは逆にハンドルが非常に軽快である。ハンドルを切れば、フロントステアですいすい曲がっていくバイクである。しかし、その分フロントは神経質で外乱に弱くハードブレーキング時やコーナリング中の安定感、安心感がやや不足している感がある。

これはフレーム剛性の考え方に大きな差があるからだ。ヤマハはフレームには剛性だけではなく柔性も必要だという考えで、コーナリング中にフレームがしなる事で前後タイヤが弧を描く様になりタイトに曲がっていく特性を狙っている。逆にフロントはコーナリング中の安定性を重視してややキャスターを寝かし気味にする方向性だ。

ホンダの場合はとにかくエンジンパワーを重視する事もあり、フレーム対する要求は第一に直進安定性であり、剛性重視という考え方だ。当然直進安定性を重視してフレーム剛性を高めると、コーナリング中もフレームはあまりしならずマシンはアンダーステア傾向になる。

それに対応する為に、ホンダはキャスターを立てたり、最近はやらなくなったが、一時期はフロントに小径タイヤを採用する等して、ハンドリングを軽快にしてフロントステアで曲がっていく車体特性を狙っていると言える。

つまりホンダとヤマハのマシン特性は全く正反対のものだと言える。そしてヤマハ育ちのライダーは必然的にヤマハの特性を生かして走ろうとするだろうし、それが出来たライダーが勝ち残っていくと言えるし、ホンダ育ちのライダーにも同じ事が言える。

だから、ヤマハ育ちでトップに登り詰めたライダーとホンダ育ちでトップに登り詰めたライダーとでは、そのライディングスタイルも正反対のものになるというのが必然だと言えるだろう。

ヤマハ育ちのライダーはヤマハのコーナリング特性の良さを生かして、コーナーを小回りにタイトに曲がって速く走ろうとする様になるし、コーナーを小回りに回れるという事は、コーナーでのバトルに有利でありバトルに強くなる。

一方で、ホンダ育ちのライダーはそのトップスピードを最大の武器にしようと考えるし、トップスピードを追求するとただでさえコーナリング特性の良くないホンダのマシンはアンダーステア傾向が強くなり更に曲がり難くなる。その為、出来るだけトップスピードの高さを生かしながらコーナリングをする為には、出来るだけワイドなラインを通って大回りする分コーナリングスピードを高く保つ事で補おうとする走りになる。

当然そうなって来るとラインの自由度は減り、理想的なワイドラインを走れないと速くコーナリング出来ないため、バトルには弱くなる。

ヤマハライダーの典型的な例が原田哲也選手や芳賀紀行選手であり、ホンダライダーの代表格がマックス・ビアッジや加藤大治朗選手だと言えるだろう。

タイトラインを通り、切れ味の良いコーナリングでライバルをパッシングしてみせるバトルに強いライダーが原田選手や芳賀選手で、とにかくコーナリングスピードやストレートのトップスピードが群を抜いていて、後続をぶっちぎる様な独走のレースをするがバトルになると負ける事が多いというのがビアッジや大ちゃんである。

かつて250クラスでは原田選手対ビアッジ、原田選手対大ちゃんの名勝負が見られたものだが、先行逃げ切りならビアッジや大ちゃんの勝利、バトルに持ち込めれば原田選手の勝ちという傾向があり、特性が正反対のライバル同士だからこその面白さがあった。

現在のMotoGPで同様なライバル関係にあるのがロッシとストーナーだと言っていいと思う。特にそのライディングスタイルの差が顕著に現れたのが2008年のラグナセカのレースだと言っていいだろう。

この時の予選タイムは約0.4秒差だったが、一発のタイムの差でありアベレージではロッシよりストーナーの方が約1秒速かった。普通にレースしたのではロッシには勝ち目がない。

ストーナーの先行を許したら楽々と独走優勝されてしまうのが確実だったが、ロッシはストナーの先行を許さず常にストーナーの前に出るという戦法でストーナーに戦いを挑んだ。

トップスピードの差を生かしてストーナーがストレートでロッシを抜いても、コーナーで必ずロッシはストーナーをかわして前に出る。ロッシはストーナーより小回りでコーナーを曲がれるので、ストーナーがベストラインを走っていてもラインを外してストーナーをパスする事が出来る。

しかし、ストーナーはベストラインを外すと速く走れないので、ロッシが前にいてベストラインを走っているとベストラインを外してロッシを抜く事は出来ないし、それだけでなく自分より遅いロッシにベストラインを塞がれているので、アクセルを緩めるしか無く本来のスピードで走る事が出来ない。

ストーナーの苛立ちは手に取る様に分かる。ロッシは自分の長所を最大限に行かす走りをしているのに、自分は自分の長所をロッシに封じ込まれて発揮する事が出来ず本来の速さで走る事が出来ない。

これはフェアではないというのがストーナーの主張だろう。お互い自分の長所を最大限に発揮してどちらが速いか勝負しようじゃないか。とストーナーは言いたかったのだろう。

しかし、レースはタイムトライアルではない。タイムトライアルではストーナーの方が速かったのは明白だ。それなら決勝レースはせずに予選最速ライダーを優勝にすれば良い。しかし決勝レースをするという事は、単にタイムが速いライダーが優れているのではなく、前を走っているライダーを抜くというパッシングテクニックに優れたライダーにも勝つチャンスがあるのがレースだというのがロッシの主張だと言えるだろう。

そして勿論、レースファンとしての僕もロッシの主張に賛同する。レースはただのタイムトライアルではなく、レースだから、バトルがあるからこそ面白いのだ。

しかし、だからと言ってストーナーの様なトップスピード重視のライダーのテクニックが劣っているという訳ではない。

一般的にはトップスピードの速いマシンに乗っているライダーは有利だと言え、例えばかつてのビアッジや2007年のストーナーにしてもマシンのトップスピードが速かったからタイトルが獲れたと言われがちな傾向があり、トップスピードの速いマシンに乗っていると恵まれているとか不公平だと言われる事もある。

しかし、トップスピードを生かす走りというのも高度なテクニックが必要であり、それほど簡単な訳ではない。トップスピードが速いマシンに乗っていれば簡単に勝てるというのはアマチュアレベルの話と言っていいだろう。

かつて圧倒的なトップスピードを誇るアプリリアのビアッジとの戦いになかなか勝利する事が出来ず「ビアッジに負けてるんじゃない。アプリリアに勝てないんだ。」という名言を残した原田選手は、そのアプリリアに移籍しシーズン終了までビアッジが乗っていたマシンに初試乗した時、思っていた程トップスピードが速くない事に驚き、ビアッジはうまく乗っていたんだと感心したのだという。

勿論、実際にアプリリアはヤマハよりトップスピードは速かったのだと思うが、原田選手とビアッジのトップスピードの差はそれ以上に、トップスピードよりコーナリングを重視する原田選手のライディングスタイルとコーナリングよりトップスピードを重視するビアッジのライディングスタイルの差の方が大きかったと言えるだろう。

トップスピードを最大限に生かすライディングをする為にはその為のマシンセッティングをする能力も必要だし、そのセッティングのマシンを乗りこなすライディングテクニックも必要となる。トップスピードを生かすにはギアレシオをハイギアードにする必要もあるだろうし、サスセッティグ等も固めのセッティングになるのだろうと思うが、トップスピード重視のセッティングを施したマシンはコーナリング特性は悪くなり乗り難くなるのが普通だろう。

その乗り難いマシンを高いスピードを保ちながら乗りこなすテクニックが必要とされる訳でそれは相当に高度なテクニックだと言えるだろう。

この様にヤマハとホンダは正反対の方向性のマシン造りをして来たと言え、その結果として正反対のライディングスタイルを持つライダー達を育てて来たと言える。

しかし、多くの人は疑問に思うだろう。ホンダのトップスピードとヤマハのコーナリング性能に勝るフレームを両立させたら、そのマシンが最速ではないか?何故メーカーはそれを目指さないないのか?

ヤマハの立場から言えば、ヤマハでエンジン開発をしているエンジニアは当然の様にそれを目指している筈だ。しかし、トップスピードではホンダに敵わない。その理由は何故かは分からないが、それが現実だと言える。

では、ホンダの側からするとどうなのか?エンジンパワーに勝るホンダがヤマハの様な特性のフレームを手に入れたら最強に違いない。少なくともホンダで開発ライダーを務めていた阿部孝夫氏にはそういう考えがあったのだろうと思う。では、何故それは実現しなかったのか?

それは、ホンダが伝統的にレーシングエンジンにはV型レイアウトがベストという事からV型エンジンを採用している事と無縁ではない。

単純にエンジン性能だけ追求したらレーシングエンジンとしてはV型エンジンがベストというのは疑う余地がない。4輪レースの最高峰F1でもエンジンは当然の様にV型エンジンであるのが普通だし、近代のMotoGPマシンを見てもインライン4はヤマハ以外は撤退したカワサキが採用していただけで、ホンダ、ドゥカティ、スズキはV型エンジンを採用しており、V型エンジンが多数派である事からも、それは理解出来るだろう。

カワサキはインライン4のメーカーというイメージが強く、長年プロダクションクラスでインライン4の市販車ベースでレース活動をして来たので、MotoGPでも市販車の宣伝と直結するインライン4を選択したのは理解出来る。

しかし、GSX-Rという人気シリーズを擁し、同様に長年プロダクションクラスでインライン4の市販車でレース活動を行って来たスズキがMotoGPでは開発実績がほとんどないV4エンジンを選択したのは、やはりレーシングエンジンとしてはV型エンジンがベストという判断があったからに他ならない。

そして、ホンダというメーカーは特にエンジンパワーを第一に追求するメーカーである。飽くまでもエンジン単体の性能を追求する事を最優先してV型エンジンを選択し、フレームはそれに合わせて制作する。つまりフレームの優先度はエンジンの次という考えがあるのは明白だろう。

しかし、阿部孝夫氏はフレームの設計という視点で考えると、V型エンジンは百害あって一利なしと断言している。

その理由は、ステアリングピポッド部とスイングアームピポッド部を直線的に結ぶフレームを製作すると(それが理想的なフレームレイアウトである事は今更説明はいらないと思う。現在のドゥカを除くほとんどのモーターサイクルがそのレイアウトを採用しているからだ。)、後方シリンダーがフレームを邪魔する形となり、フレームは後方シリンダーの外側を通らざるを得なくなる事から、フレームの形状、特にスイングアームピポッド部の周辺を理想的な形状にする事が困難、と言うよりは事実上不可能になってしまうからだ。

では、ステアリングピポッド部周辺の理想的な形状とはどの様なものだろうか?それは後方シリンダーの存在しないインライン4エンジンを搭載する各メーカーのフレームを見れば明らかだ。

インライン4マシンのフレームはどのマシンもステアリングピポッド部からタンクにかけては非常にワイドで幅が広いがスイングアームピポッド部周辺は幅が狭められて非常にスリムな形状をしているのが分かるだろう。これはホンダのCBR1000RRも例外でなく、ホンダも後方シリンダーという邪魔物がなければ、その様なフレーム形状を理想的と考えているのが見て取れる。

スイングアームピポッド周辺がスリムな形状になっているのは、シート幅を狭めて乗り易くする為と思っている人も多いと思う。勿論それも理由のひとつと考えられるが、それだけではない。

コーナリング特性に優れたフレームは剛性だけでなく適度な柔性も必要と書いたが、フレームの剛性には縦剛性と横剛性があり、柔性が必要なのは主に横剛性だ。

コーナリングの為には前後タイヤが弧を描く様に適度にしなる方が望ましく、その為横剛性は落とした方が良いという事である。

一方ステアリングピポッド部周辺は、ブレーキング時の安定性の為に横剛性も高い剛性が必要とされる。ステアリングピポッド部からタンクにかけて横幅がワイドになっているのはその為だ。従って、ブレーキング時の安定性に悪影響を与えず横剛性を落とせる場所というと必然的にスイングアームピポッド部周辺しかないという事になる。その為、スイングアームピポッド部周辺は横幅を狭めて横剛性を落としているのだ。

V型エンジンは後方シリンダーが存在する為、その理想的な横剛性を持ったフレームを造るのが非常に困難と言え、対してインライン4はV4に比べてエンジンの横幅が広くなるというデメリットがあると言えるが、フレームに干渉する可能性のあるシリンダーは前方にあり、ステアリングピポッド部周辺からタンクにかけては横幅を広げて横剛性を高める必要がある為に、エンジンの横幅が広くなる事はフレーム設計上は特にデメリットになるとは言えず、理想的なフレーム設計が可能という点でV4に勝るエンジンレイアウトであると言えると思う。

MotoGPマシンの中で、ベストバランスマシン、ベストハンドリングマシンと言われているのはヤマハであり、ホンダ、ドゥカティ、スズキのV4エンジンを搭載するマシンが操縦性という面ではヤマハに敵わないという事もそれを証明していると言えるだろう。

また、ヤマハ以外で唯一インライン4エンジンを採用していたカワサキが、最もMotoGP参戦が遅かったにも関わらず撤退間際には経験に勝るスズキを凌駕する所まで急速に競争力を高める事が出来たのもインライン4エンジンを採用した事で、理想的なフレーム設計が可能だったからだと言う事が出来ると思う。

では、V型エンジンを搭載する限り理想的な柔性を持ったフレームを実現する方法は全くないのだろうか?あるいはそれを実現しようとした試みはなかったのか?と言うと、実はホンダがそれにチャレンジした前例はあるのである。

それは、スーパーバイクのVTR1000Rと250ccクラスのGPマシンNSR250で試みられたピポッドレスフレームである。

特にGPマシンであるNSR250にピポッドレスフレームを投入した意図を当時のHRCの責任者はフレームに適度な柔性を与える事でコーナリング特性の向上を狙ったと説明している。つまり後方シリンダーが邪魔でスイングアームピポッド周辺を理想的な形状にして剛性を落とす事が出来ないならスイングアームピポッドそのものを無くしてしまおうという大胆な発想で造られたフレームと考える事が出来る。

その開発の背景には伝統的にピポッドレスフレームを採用するドゥカティがワールドスーパーバイクで強さを発揮していたという事もあるだろう。当時のドゥカティが強かったのは当時のSBKのレギュレーションが4気筒は750ccに対し2気筒は1000ccと排気量面で有利だった事も大きいが、コーナリングで優位性があったというのも事実である。

その事は、単純にフレーム性能の為というより、V型2気筒エンジンの為車体がスリムだった事や、V2エンジンの為低中速トルクが太く、コーナリング立ち上がりで有利だったという理由も大きいと言えるのだが、少なくともフレームは悪くはないという判断もあったのだろう。

その為、レギュレーション上4気筒では勝てないと判断したホンダはドゥカと同じV2エンジンのVTR1000Rを投入するのに際し、ピポッドレスフレームの性能を確認する為にアルミツインスパーフレームでありながら、トラスフレームのドゥカと同じピポッドレスという特殊なフレームを投入したのだろうと思う。

VTR1000Rはコーリン・エドワースの手で2000年2002年とワールドタイトルを獲得し、一定の成果を上げた。ただし、そのVTRの実質的ライバルは同じピポッドレスのドゥカであり、ピポッドのあるオーソドックスなフレームを積む750cc勢はレギュレーション上ライバルになり得なかったと言え、本当にアルミツインスパーピポッドレスフレームが従来のフレームより優れた性能を有していたかどうか結論付ける事は難しい。

一方で、NSR250は充分な成果を挙げたとは言い難い。何しろ前年型NSR250で圧倒的強さで全日本タイトルを獲得した加藤大治朗選手がピポッドレスNSR250が投入された1998年、タイトル防衛どころか転倒に次ぐ転倒でランキング8位に終わる程低迷してしまい、改善が進んだ翌年はランキング2位を獲得するまで復調したが、それでも天才の名を恣にした大ちゃんにしては物足りない成績だと言える。

世界GPでは宇川徹選手が高い順応性をみせ巧みにピポッドレスNSRを操り、常にワークスアプリリア勢に次ぐ順位を獲得し、1999年にはロッシとタイトル争いを繰り広げた上ワールドランキング2位を獲得しているが、その走りを見ると何らかの問題で深くバンクさせる事が出来ないマシンをリーン・イン気味に体をマシンの内側に落とす様にしてコーナリングしており、余りにも苦しい状況を容易に感じさせるものだった。

リーン・インというのは、マシンやタイヤの性能が低く、今の様に深いバンクでマシンを走らせる事が出来なかった時代のテクニックであり、その様な走りをしなければならなかった事は、明らかにフレーム特性に問題があったと考えざるを得ない。

結局ホンダはピポッドレスフレームを諦め、NSRのフレームを従来のスイングアームピポッドのあるタイプに戻している。その従来型フレームNSRで本来の走りを取り戻した大ちゃんは、2001年にもうひとりの天才ライダー原田哲也選手とワークスアプリリア相手にGP史に残る名勝負を繰り広げた上に、年間11勝という圧倒的強さでワールドチャンピオンに輝いている。

アルミツインスパーピポッドレスフレームがホンダが狙っていた様な特性を発揮出来なかったのは明らかだと言えるだろう。そのピポッドレスNSRでWGP参戦の多くの年数を過ごす事になった宇川選手は、非常に不運だったと言えると思うし、そのマシンでロッシに次ぐランキング2位を獲得した事はもっと評価されるべき偉業だと言って良いと思うという事を付け加えておきたい。

この様な経緯があるので、自分としては長年ドゥカティの操縦性の問題はピポッドレスフレームにあるのではないか?と思って来た。2011年シーズン終盤にはアルミツインスパーピポッドレスフレームという、かつて宇川選手や大ちゃんを悩ませたNSR250のフレームを思わせるフレームが登場した時は、その悪夢が再現されるのでは?という悪い予感を感じたのだが、実際そのフレームの実力がどの程度のものだったのか決勝レースで確認する機会がないまま姿を消したのは、安堵すると共に少々残念な気持もある。

いずれにしても、ドゥカティはロッシが求める理想のマシンを造り上げる為に、長年の伝統であるピポッドレスフレームを捨てて、遂にスイングアームピポッドのあるオーソドックスなアルミツインスパーフレームのGP12を登場させた。

L型エンジンを搭載する事によるフレーム特性への悪影響の問題は残るにせよ、ピポッドレスを捨てたという事は、多少なりとも良い効果をもたらすのではないかと期待している。

2012年5月29日火曜日

ドゥカティ、アルミフレーム化への道のり

2010年7月から公私共に忙しくblogの更新が滞ってしまった。その間にロッシはやはりドゥカティに移籍して苦難の時期を過ごしている。世間ではロッシはもう終わったという声まで聞こえて来る様になった。しかし、ロッシは本当にもう終わってしまったのだろうか?ロッシを中心にblogの更新が滞っていた2010年〜2011年のMotoGPを振り返ってみたいと思う。

2010年後半ロッシは第15戦マレーシアGPで復帰後初優勝を飾り、今でも優勝出来る力を持っている事を証明してヤマハを去りドゥカティへと移籍した。

しかし、復帰後も足の怪我に加えて肩の怪我の状態が思わしくなく、復帰後の優勝は1回に留まり、結果的には年間2勝のランキング3位でシーズンを終えた。あれだけの大怪我から回復してランキング3位まで巻き返せたのは流石ロッシという所ではあるが、それでも復帰後もかつての様な圧倒的な強さを見せつける事が出来なかった事から、シーズンを通しての印象としては、やはり2010年の最速ライダーはロレンソであり、もし怪我がなかったとしてもロッシはタイトルを穫る事は出来なかったのではないか?という印象になってしまったのは否めない所だ。

また、その怪我自体ロッシらしからぬ転倒が原因で、その転倒も想像以上に成長を見せたロレンソの速さにロッシが焦った為という想像を駆り立てるものであったのも、その印象に拍車をかけたと言えるだろう。

いずれにしてもロッシはプライドを賭けてヤマハに自分かロレンソのどちらを選べと迫り、ヤマハは両方を選ぶという選択をしたのだが、それはロッシにとってはロレンソを選んだというのと同じ事だったと言えるだろう。しかし、ヤマハとしてはタイトルを獲得したロレンソを放出し、ランキング3位に終わったロッシを選ぶという選択肢は有り得ない。

確かにロッシとヤマハの関係というのは特別なものだったと言える。しかし、もしその有り得ない選択をヤマハが取ったとしたら、MotoGPのスポーツとしての威厳の問題に発展してしまう。僕としてはヤマハの選択は当然だったと思う。多くのロッシファン、ヤマハファン、そしてロッシ本人もロッシとヤマハの特別な関係にもっとロマンチックなストーリーを期待してたと思うが、これはやはり止むを得ない事だったと思う。

そして、2007年にドゥカティで圧倒的な強さでタイトルを獲得したケーシー・ストーナーはその後もMotoGPの中心的ライダーの一人として活躍を続けるものの、2007年の様な圧倒的な強さは影を潜め、常に何らかの問題を抱えている印象だった。

その理由の大きなひとつが、MotoGPの経費削減策として導入されたエンジンの年間使用台数制限にあると言えるだろう。

ドゥカティの圧倒的エンジンパワーの理由のひとつが耐久性を犠牲にしたエンジンチューニングにあった事は想像に難くない。そしてエンジンパワーと耐久性の両立という難しい命題を解決するのは日本メーカーのお家芸であり、エンジンパワーと耐久性を高いレベルで両立させる事に成功したホンダ、ヤマハに対し、ドゥカティは耐久性向上の為にエンジンパワーを抑えざるを得ず、結果として3メーカーのトップスピードの差は接近し、ドゥカティは他メーカーに対して持っていた最大のアドバンテージの多くを失ってしまったと言えるだろう。

それでも、ケーシーはホンダへの移籍を発表したシーズン後半に復調し3勝を挙げてランキング4位でドゥカティ最後のシーズンを終え、未だトップレベルのライダーである事を証明し新天地ホンダへと去っていった。

この事で、ドゥカティはセッティングに難しい点があったとしても、まだまだコンペティブな性能を持ったマシンであるという事を印象付ける事になり、ドクターの異名を持つロッシなら、そのセッティングの難しさを克服し、ドゥカティで再びタイトルを獲得するのではないかと多くの人が期待を持ったとしても不思議ではない。

ホンダからヤマハへと移籍して初レースで優勝、初シーズンでタイトルを獲得した奇跡をドゥカティでも再現してくれるのではないか?ロッシがまた新たな伝説を築いてくれるのではないか?そういう期待をファンの多くが持ったとしても不思議ではない。

ロッシというのは、これまでそういうファンの期待に期待以上に応えて来たスーパースターなのだから、それも当然と言えるだろう。

しかし、僕はロッシのドゥカティ移籍はそう簡単な事ではないと思っていた。何故ならストーナーとロッシのライディングスタイルは正反対であり、ドゥカティはストーナーの様なライディングスタイルのライダーには適しているが、ロッシな様なライディングスタイルのライダーが決して乗ってはいけない特性のマシンだと思っていたからだ。

対して、ホンダからヤマハへの移籍の場合は事情が違う。ロッシはヤマハに自分のライディングの理想を実現出来るマシンだというイメージを持って移籍したと僕は思っている。事実、ロッシのライディングの最大の特徴はハードブレーキングでコーナーの奥深くにまで突っ込んでいき、ブレーキを引きづりながらバンクして素早くコーナリングを終了して鋭く立ち上がっていくというものであり、そのライディングスタイルが完成の域に達したのはベストハンドリングマシンと評価の高いヤマハに移籍してからのものだ。

ロッシはホンダからヤマハへ移籍する事で、より自分のライディングスタイルの特性にあったマシンを手に入れたと言えるが、今回はその全く逆であり、自分に取ってベストの特性のマシンを手放し、全く方向性が逆のハンドリングに問題を抱えたマシンに乗り換える訳である。

案の定、2011年シーズン、ロッシはヤマハ移籍1年目の様な奇跡を起こす事は出来ず、低迷してしまう。

しかし、シーズン序盤、僕はむしろ想像していたより悪くないと思っていた。開幕戦7位、第2戦で5位、第3戦5位、そして第4戦フランスGPでは早くも3位表彰台に上がっている。

そして第2戦では最終順位こそ5位だったが、序盤ストーナーのインを差してストーナーを巻き込んで転倒した後再スタートして追い上げての5位であり、転倒がなければ2戦目で早くも表彰台、それも1番高い所に上がっていた可能性すらもある。

思っていたよりも順調であり、流石ロッシと唸らされたものである。ドゥカティの特性はロッシには絶対合わない。もしロッシがドゥカティで勝とうとするならば、ドゥカティの特性を全く正反対のものに変えてロッシ好みのマシンに造り変えないと無理だろうと思っていたのだが、シーズン序盤のマシン、つまり昨年までの延長線上のマシンでまだロッシが乗る様になってからのデータやリクエストを基に根本から造り上げたマシンではないそのマシンでここまで走れるなら、優勝するのもそう遠くないだろうし、ロッシ好みのニューマシンが仕上がったら2年目以降のタイトル獲得も夢ではないと思う様になった。

しかし、その想像はまたも裏切られ、ロッシのリクエストで全く新しく造られたニューマシンが投入されてからこそが、ロッシの本当の低迷の始まりだった。

特に来年度様に開発されていた1000ccマシンの先行テストでそのマシンを気に入ったロッシが、その1000ccマシン用のフレームを800ccマシンに先行して搭載する事を決めてから、その低迷は更に深刻なものになっていく。

来年度用のマシンの開発と今年度のマシン開発を同時に行うという決定は一見合理的だが、1000ccと800ccではエンジン重量もエンジンパワーも違う。当然フレームに要求される剛性なり特性なりも同じではないと思う。1000ccエンジンを積んで好調だったフレームに800ccエンジンを搭載して同じ様に走れるとは思えない。

そんな事はロッシもドゥカティのエンジニアもチームクルーも分かっていた筈だと思うので、何らかの勝算があったのだろうとは思うが、結果としては12年型フレームを先行搭載したGP11.1に乗ってからのロッシの成績は低迷を極め、あのロッシの定位置が10位前後という悪夢の様な事態を引き起こしてしまった。

そして、GP11.1のフレームに失望したロッシは、遂にドゥカティにアルミフレームの製作をリクエストする。ドゥカティが設計し、アルミフレーム製造に実績のあるフレームビルダーであり、Moto2マシンのフレームも製造しているFTRが製造したアルミフレームは、多くの日本車同様アルミツインスパーフレームでありながら、日本車のアルミフレームとは異なりピポッドレスという特殊な構造を取っていた。

僕は2011年の開幕戦終了時点で、AKIさんのblog、GP News Worldwide +(http://motociclismo.jugem.jp/)のコメント欄で次の様なコメントをしていた。

「個人的には最低重量制限があるので、あえて他メーカーが使っていないカーボンフレームを使用するメリットがあるとは思えないので、実績のあるアルミフレームを採用すべきじゃないのかなあ・・という気がします。」(http://motociclismo.jugem.jp/?eid=2294&target=comment&guid=ON&view=mobile&tid=7

この時点では、従来のドゥカティのマシン開発の方向性ではロッシの好みのマシンにはならないだろうから、ロッシの好みのマシンに仕上げる為にはロッシは日本車的、というかヤマハ的な特性のマシン造りをドゥカティに要求するのではないか?それはつまり日本車的なアルミフレームの投入を要求するのではないか?と思っていた。

しかし、その後従来のフレームで思った以上に早く成績が上向いて来た事から、一時はアルミフレームでなくても大丈夫みたいだなあと思っていたのだが、結局その後の低迷で当初の予想通りにアルミフレームが投入される事になった訳だ。それはロッシの立場から考えればマシン開発がうまくいかない状況では当然至る結論であり必然だっただろうと思う。

だが、本当の問題はフレームだけでは解決しない。前述の僕のコメントを受けて通りすがり氏が以下の様なコメントをしているが、実はこれは表裏一体の問題だと言える。

「個人的にはフレームレイアウトより根本的に見直すべきはエンジンのバンク角かなと思ってます。WSBのアプリリアもMOTOGPのスズキもホンダも狭角バンクですが、ドゥカは90度を頑なに守っているのでどうしても搭載位置に制約が出来るし、エンジンは前後に長くなるし。」

何故ドゥカティがそれまで日本車的なフレームではなく、独特な構成のフレームを使用して来たのかという理由がこの90°VというかL型エンジンによる、エンジンの前後長の長さにある。

前後長が長いので、普通にフレームを造ったらマシンの前後長、つまりホィールベースが長くなり、マシンは直進安定性は良くなるが旋回性、つまりコーナリング特性は悪くなる。

それをエンジン、フレームはそのままで解決しようとすれば、リアのスイングアームを短くする事でホィールベースを短くする事は可能だ。しかし、スイングアームを短くすればマシンの安定性は悪くなる。おそらくリアタイヤのトラクションにも悪影響があるだろう。

L4エンジンというのは、そういうフレーム設計の難しさのあるエンジンであり、その難しい問題を何とか解決しようとして、様々な工夫を凝らして来たのが従来のドゥカティのフレームだと言える。

ドゥカティのフレームの伝統的な特徴のひとつがピポッドレスという事だが、これもピポッドレスにして、リアスイングアームをエンジン後部に直接マウントする事で、スイングアームの長さを犠牲にせず、少しでもホイールベースを短くしたいという考えの現れであろう。

また、L4エンジンは前後長が長い事でマシンをコンパクトにするのが難しいだろうから、エンジンをフレーム構成の一部として活用するモノコックフレームにする事で、フレーム自体をコンパクトにしてマシン全体をコンパクトにしたいという狙いもあるのかもしれない。

だから単純にアルミフレームにすれば良いというものではなく、アルミフレームにした事で再び浮上して来るそれらの問題をどうやって解決するかという事が重要になる筈だ。

シーズン終盤に登場したアルミフレームはツインスパーフレームでありながら、ピポッドレスであった事もホィールベースを理想的な長さにする為の代替案がなかった事を思わせるものであり、急作りの印象は否めず、それで本当に日本車的なフレーム特性が得られるものかどうか疑問を感じさせるものであった。

それでも、ロッシはこのアルミフレームに好感触を得て、決勝レースのリザルトを改善する事に自信を覗かせるコメントをしていた。

しかし、シーズン終盤ロッシは不慮の事故で中止となったマレーシアGPを挟み連続リタイヤでシーズンを終えてしまい、そのピポッドレスアルミフレームの真価を決勝レースで確認する機会を得る事が出来ないまま、シーズン直後のテストに登場した2012年型の1000ccマシン、GP12にはピポッドのあるオーソドックスなアルミツインスパーフレームが搭載されて登場する事になる。

今振り返ってみると、2011年の序盤のドゥカティはフレーム設計に関して問題の多いL型エンジンに取っての理想的なフレームを長年追求して来たドゥカティの歴代のエンジニア達の努力とノウハウの結晶であり、ひとつの完成形であったと言えるのではないかと思う。

そしてロッシは自分のライディングスタイルをその特性に合わせて走っていたのだと思う。それが想像以上にうまくいっていたと言えるだろう。それはドゥカティがその時点でひとつの完成に達していたという事でもあり、ロッシの順応性がやはり非常にレベルが高かった事の証明でもあると思う。

しかし、自分に取って理想ではないマシンに合わせて自分の理想ではないライディングをしていたのではやはり限界はある。

一方で、ロッシと入れ替わる様にホンダに移籍したストーナーは、理想のマシンを得て理想のライディングで走っていると言って良いと思う。全てのサーキットで圧倒的な速さを見せつけ、今やストーナーをロッシを越える史上最速のライダーだと評価している人も多いだろう。

ホンダでのストーナーの走りを見ていると、改めてロッシとは正反対のライダーだと分かる。ストーナーに取って必要なのはとにかくトップスピードの速いエンジンと直進安定性の高いフレームだろう。

ストーナーはロッシの様にフレームの特性を生かしてコーナリングするのではない。リアタイヤをパワースライドでスライドさせる事でマシンの向きを変え曲がっていくのである。
だからフロントタイヤのグリップが重要になる。アンダーステア傾向のマシンをパワースライドで強引に曲げていくので、フロントが粘ってくれないとフロントから転倒しまうからだ。ミシュランのフロントタイヤのグリップに問題があったLCRホンダ時代にフロントからの転倒が多かったのはその為で、ブリヂストンを使用するドゥカティへ移籍して転倒が減ってタイトルを獲得したのも、ミシュランよりフロントタイヤのグリップ力が勝るブリヂストンを得た事が大きかったと言える。

ストーナーのライディングテクニックはロッシとは対極だが、ひとつの究極である事は間違いない。それに対抗するのに付け焼き刃で敵う筈もない。ストーナーと対極の方向で頂点を極めているライダーとして、ベストなマシンに乗っているストーナーと本当はどちらが速いのか証明する為には、ロッシの方もベストのマシンに乗っていないと無理というものだ。

ロッシの造った理想のベストハンドリングマシンに乗り、理想のライディングをしているロレンソを倒すにも同じ事が言える。

だから、ドゥカティを自分の理想のマシンに造り変えるというのは、ロッシにとっては避けて通れない道だったと思う。ただ、その道はドゥカティのエンジニア達が長年味わって来た苦悩を追体験する事であり、並大抵の事ではなかった筈だ。

その苦難の道をたった1年で克服して来てしまったのだとすれば、ロッシとドゥカティはロッシとヤマハがYZR-M1で成し遂げた時以上の賞賛を得る資格があると思う。